実は東京も坂が多いことはご存じでしょうか。
表通りや脇に入った裏道にも坂道が多くあります。そして坂の名前や歴史にちなんだもの、坂からの景観から名づけられたものまで様々です。
今回は東京に坂が多い理由について紹介します。
東京に坂が多い理由
東京は大昔、海でした。多摩地域の昭島市には約160万年前のものと推定されるクジラの化石が見つかっています。
氷河時代に奥多摩から流れ出した氷河は山を削り、内陸部まで深く入り江になっていた海を埋めて今の23区が陸地になりました。
江戸時代に入ると、このような入り組んだ土地を無理やり開発し、人が住むようになります。
そもそも、徳川家康が江戸に移ってきた時、天下は平定されていませんでした。
江戸城は舌状台地の先端部に築かれ、台地と谷が織りなす起伏にとんだ地形を活用し、防御力に優れた城郭です。
防御のために街中をあえて平らにしなかったと考えられます。
以降、起伏のある状態でも人が住み着いたことで、その結果、東京は坂道が多い街となったわけです。
色々な坂の名前
東京には多くの坂があると言われていて、多いのが「富士見坂」「汐見坂」です。富士見坂は20か所以上もあり、昔は富士山がどこからでも見えたからでしょう。
他には桜坂や紅葉坂、銀杏坂など、情景が思い浮かびます。ユニークな坂の名前として幽霊坂やのぞき坂があったり、色々な坂の名前がついています。
これらの坂は江戸時代に名づけられたそうです。
当時は寺院や神社、武家屋敷が多く、その土地の名前がありませんでした。しかし、そこに住む人たちは土地の名前がないと、何かと不便。
そこで、江戸の人たちは坂に名前を付けることにしたのです。
例えば、港区にある紀伊国坂(きのくにざか)は、坂の西側に紀伊徳川家の上屋敷がありました。紀州は現在の和歌山県と三重県南部にあたり、別称が紀伊国です。
紀伊国を治めていた紀州徳川家に由来して紀伊国坂がついたとされています。
他にも千代田区にある九段坂は、坂に沿って九段になった御用屋敷の長屋が作られたことからその名がついたそうです。
坂の愛好家たちが東京の坂をリスト化
東京23区には700以上の坂が存在し、名前のついた坂を実際に歩いて集めたサイトがあります。
「東京23区の坂道」(坂学会)
一つひとつの坂には、名づけられた由来や特徴があり、地元の人たちに愛されています。
サイトから自分の住む地域の坂がどのような由来や特徴があるのか見てみるのもおもしろいですよ。